あいくんがわたしに教えてくれた大切なこと
わたしたち夫婦はお互い40オーバーでおつき合いを始めたこともあり、
かなり早い段階でこどもを持つことに対しての見解が一致していました
それは 「自然に任せる」 ということ
こどもが授かればこどもがいる幸せを味わえるし
授かれなければ二人の時間を濃密に自由に楽しめるし
どっちに転んでも幸せにしかならないと
わたしたちは心底思っていました
ただ・・・
「彼の素晴らしい遺伝子を残したい」と
わたしの中の女の本能はそう言っていたような気がします
そして入籍して半年と経たぬうちに
赤ちゃんは自然にやってきてくれました
実に10年ぶりにこどもを授かったわたし
大きな喜びと同時に大きな恐れを抱きました
それはデータを知っていたからです
40歳の自然妊娠確率は5%
45歳は1%
齢42歳のわたしは3%くらい?
42歳という年齢は仮に不妊治療の門を叩いたとしても
医者から治療に関して難色を示されるボーダーラインだとも聞きました
そして40代の流産率
40歳で40%
45歳で50%・・・
その高い数値はわたしを震え上がらせるのに十分な威力を持っていました
わたしは妊娠当初、
嬉しくてお腹の子が愛おしかったにもかかわらず
意図的にあまり喜んだり意識を向けないようにしたんです
あまりに愛情を注いでしまうと
万が一赤ちゃんがダメになった際
わたしが壊れてしまう・・・
それに耐えうるほどの強さをわたしは持ち合わせていないから
そう考え、お腹の赤ちゃんのことは努めて考えないようにしました
・・・でも
結局そんなことはできなかった
「赤ちゃんが育っていない」
と言われたわりにはかなり早い段階でお腹も出てきて
(二人目だから?)
気づいたらお腹に手を当てて話しかけてしまう自分がいたし
バストサイズもアップして
わたしの身体は確実に母になる準備をしていた
心と身体は繋がっている
それに母と子は一心同体
それを切り離すことなんて出来る訳ないのに
あさはかにも
己の保身のために
愛情の出し惜しみをした
いつもは目の前にいる人に対して全力で愛を注ぐのに
どうしてお腹の赤ちゃんには出し惜しみをしたのだろう
結局出し惜しみしたところで
失う辛さは何一つ変わらなかったというのに
「後悔」って
「したこと」より「しなかった」ことに対して沸き起こるものだ
だからわたしの選択は常に「やる」だったのに
どうしてせっかくやってきてくれたお腹の子にだけ
いつもと違う選択をしてしまったのだろう
あいくんがわたしたち夫婦に遺してくれたものは
大きな大きな「愛」だった
それなのに・・・
なぜわたしは我が子に愛を出し惜しみした?
愛もお金も誠意も仕事も
「出し惜しみ」
していいことなんてひとつもない
あいくんがその生命をもってわたしに教えてくれたこと
それは「惜しまない」こと
こんなに短い命だったならば
もっと思う存分話しかけて
もっとたくさんの愛情を伝えてあげれば良かった
わたしはもう二度と出し惜しみすることはないだろう
もう二度と後悔したくない
もしまた次の子がやってきてくれたとしたら、
もう自分の中でせき止めることなく愛を伝え続けよう
そしてこれからは
思う存分天に還ったあいくんに愛を伝えるんだ
あいくん
ママはいつまでもずっとあいくんを愛してるよ
本当はお腹に来てくれた時から
ずっとずっと
あなたを愛してた
ママも 愛しかなかったの